《鬼滅の刃 考察》大人気!!「鬼滅の刃」と「ジョジョの奇妙な冒険」の共通点・相違点について考察しました!!!
似たセリフ、状況がある
鬼滅の刃3巻にて、登場人物である正一が「我妻善逸(あがつま ぜんいつ)」に助けられるシーンがありますが、善逸の荒唐無稽なキャラクターに困惑し、「正一は 考えるのをやめた」と解説文が入るシーンがあります。
これは、ジョジョ第2部におけるラスボス、カーズが敗北した際の解説文である、「ーそのうちカーズは 考えるのをやめた。」と一致します。
まあこれは、鬼滅の刃の作者による、ジョジョへのオマージュ、リスペクトでしょうね。
また、鬼滅の刃の「鬼舞辻 無惨」は、ジョジョ第4部の「吉良 吉影」と、性格上の相違があります。
両者ともラスボスでありながら戦闘に積極的ではなく、基本主人公たちから身を隠す、逃走する、といった点と、平凡な一般人に扮して身を隠している点です。
無惨は初めて炭治郎と会ったときは一般人に扮して身を隠していました。しかも正直まだ雑魚レベルだった炭治郎から逃げだしたり、最終戦闘時も日の出が近くなったら速攻逃げ出しています。
また、配下の鬼たちも信用しておらず、常に思考を読み取って、自分の情報をしゃべろうとしたりしたら殺害しています。
これらは当然のリスク管理ではありますが、バトルマンガのラスボスとしては随分「安全第一」ですね。有能なビジネスマン、って感じがします。
対する吉良吉影も「植物のように、平穏な人生を送りたい」「戦いに勝つのは容易だ、だが争いが争いを呼ぶ。空しくきりのない行為だ」といい、常に逃げ続けています。スタンド能力も、証拠を消す爆弾能力・追跡者を自動攻撃する能力と、隠れながら敵を倒すことに重点を置いた能力になっています。
また、殺人鬼である吉良吉影は、大変高い能力をあえて隠し、目立たない平凡なサラリーマンを演じ続けています。
・・・類似点としては、ちょっとこじつけ感がありますかね。
他にも、現在映画が大人気の「鬼滅の刃 無限列車編」の状況も、類似点の一つです。
内容をざっくりと説明すると、高速で移動中の列車内にて待ち受ける「下弦の壱・魘夢(えんむ)」が、眠らせる血気術を駆使して炭治郎たちを追い詰める、といった内容です。
この設定は、ジョジョ第5部における、プロシュート・ペッシのコンビと、特急列車内で戦うシーンに少し似ています。「フィレンツェ行き超特急」という回です。共通点を列記すると、
- 舞台が走行列車内
- 乗客・仲間が列車内で睡眠にて無力化・人質となっている(ジョジョでは老化による行動不能)
- 仲間が本体を攻める炭治郎・伊之助組と、人質を守る煉獄・善逸・禰豆子組に分かれている(ジョジョではブチャラティとミスタが分かれて別々の敵に対応している)
- 先頭の機関室が本体の居場所(ジョジョでは主人公側が先頭の操縦室に隠れていた)
などが挙げられます。これに関しても、あくまで似ているかも?ぐらいの共通点ですね。
ジョジョ第5部の「フィレンツェ行き超特急」は5部屈指の名シーンであり、鬼滅の刃の作者である吾峠呼世晴先生も参考にされたのかもしれません。
共通点②:敵味方ともに、エピソードを細かく描写している
鬼滅の刃は、主要な鬼殺隊員や各柱、ほとんどの鬼について、鬼殺隊に入った(もしくは鬼になった)いきさつや幼少期の体験など、事細かに描写しています。
敵キャラクタでも、描写が細かく、また同情を禁じ得ないエピソードを持つ「上弦の参・猗窩座(あかざ)」などは、とても良い印象のキャラクタですね。
逆に、エピソード描写のほとんどない「上弦の伍・玉壺(ぎょっこ)」などは、あまり印象に残っていません。
ジョジョも同様、敵味方問わず、かなり細かくキャラクターのエピソードを描写しています。特に、第5部以降にその傾向が強くなりました。
ジョジョの敵キャラの人気は、5部の敵キャラの人気が高い傾向にあります。これはやはり、キャラクター像の深掘りが、読者の感情移入に重要なファクターであることを示していると思います。
共通点③:味方達は皆、何かを受け継ぎ、守る
私はこの共通点こそ、両作品の根幹であり、皆に愛される理由であると思っております。
どちらの作品も、少年マンガらしく勧善懲悪、善と悪の対立が描かれていますが、どちらの作品も善と悪の区別がはっきりしています。それは、
・ 善の勢力は、人を信じ、団結し、受け継ぎ・守り・伝える。そのために集い、戦う仲間である。
・ 悪の勢力は、ただ己の私欲のために動く。私欲の実現のために、簡単に他人を利用する、そのための集合体である。ゆえに本質的には孤独である。
といえると思います。
悪の定義については、多くの作品で共通するものでしょうが、正義の定義については両作品とも大きく強調されている点だと思います。
鬼滅の刃において、始まりの呼吸の剣士である「継国縁壱(つぎくに よりいち)」は、最も鬼舞辻 無惨を追い詰めた剣士でしたが、彼の日の呼吸を継承できるものは、鬼殺隊にはいませんでした。
しかし、友人であり心のよりどころであった「竈門炭吉(炭治郎の先祖)」に日の呼吸の型を見せており、偶然剣士でもない竈門家にヒノカミ神楽として継承され、子孫の炭治郎まで伝わったのです。
これは偶然ではありましたが、継国縁壱は、日の呼吸の継承者が現れないことに全く焦りはないようでした。
長い人の歴史の中で、誰かが同じ場所までたどり着く、と言っていました。
彼はきっと人と人が絆を持っていれば、自分の技術や使命を誰かが受け継ぎ・守り・伝えてくれると信じていたのだと思います。
最終戦の時まで、炭治郎と鬼殺隊の仲間たちは、継国縁壱の実力には遠く及びませんでした。
しかしみんなが無惨を倒したい、悲しみの輪廻を自分たちの代で終わりにしたいと思い、その為には自らの命も顧みない覚悟で団結し、その団結の力がついに鬼舞辻 無惨を倒したのです。
鬼殺隊の面々はみな、自分の命を全く顧みずに戦います。こういった描写は、一見すると人命軽視、残酷と思ってしまいがちですが、彼らは仲間を、未来を信じており、自分が駄目でも誰かがやり遂げてくれる、決して自分の命は無駄にはならないと思っていたからこそ、命を投げうって戦えたのです。
ジョジョもまた、主人公たちはみな、過去からの宿命を受け継ぎ、信じて戦う者たちでした。特に、第7部はこの過去の継承がテーマの一つだったと思います。
ジョジョ第7部は、奇跡の力を持つ1000年前の聖人の遺体を手にするために、主人公のジョニー・ジョースターとジャイロ・ツェペリが、同じく聖人の遺体を手に入れてアメリカを1000年続く国家にするために暗躍するファニー・バレンタイン大統領とその部下たちとの闘いを描いた作品でした。
第7部の7巻で、ジョニーは旅の仲間であり、師匠ともいえるジャイロ・ツェペリのことを、「受け継いだ者」と称していました。また、襲い掛かる敵のことを、「飢える者」とも称していました。
そして、飢えなければ勝てない、とも言っています。
「飢える者」は他者から財産を、命を奪います。彼らの行動は常に攻撃的であり、「受け継ぐもの」であったジャイロは、どこか受け身であるためハングリー精神に欠けていました。
敵の一人であるリンゴォ・ロードアゲインからは「受け身の対応者はここでは必要なし」とまで言われてしまいました。
ジョニーはジャイロに、「気高く飢えろ」といい、そうすれば「最終的に勝利するのは受け継いだ者だ」と言っています。
そして旅の中で、ジャイロは気高く飢えることをジョニーから学び、ジョニーは鉄球回転の技術を受け継ぎました。
戦いの過程でジャイロは死亡し、ツェペリ家は途絶えてしまいましたが、鉄球の回転技術はジョニーに受け継がれ、「黄金の回転」という概念と「スタンド能力」を組み合わせた「タスクACT4」を発現、ついにバレンタイン大統領を倒しました。
ジョニー一人では、ジャイロ一人では到達できなかった勝利が、過去の継承により成しえたのです。
ちなみにここからは余談になります。
一見すると第7部は、ジョニーは半身不随を直したい、もう一度人生をやり直したいがために戦っているように見え、対するバレンタイン大統領はアメリカの繁栄のために戦っているように見えます。ほかの部に比べて、善悪の区別が分かりにくくなっています。
ですが、ジョニーやジャイロは聖人の遺体を受け継ぎ、守るために戦っており、大統領はアメリカの為という大義名分を掲げて、たくさんの人を利用し、犠牲にして目的を達成しようとしています。
大統領が聖人の遺体の力を得て手に入れた能力「D4C ラブトレイン」は、「自分に振りかぶった不幸を、別の誰かに跳ね返す」という能力であり、他者の犠牲を何とも思わない彼の性格を大きく反映させた能力でした。
やはり第7部も、善と悪の対立を描く作品でした。
ジョジョも大好きで、語りだすと止まらないんですよねー…。
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